La Gazette Parisienne
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ラ・ガゼット・パリジェンヌ
料理人そして柔道家 ティエリー・マルクス 2006.09.21 Vol.6
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WASABI誌no.8号
パトリック・デュヴァルの記事より

ティエリー・マルクスのプロの顔に出会うには、少なくとも2通りの方法がある。 よりインパクトがあるのは当然1つめで、コルデイヤン・バージュに、出来たら日曜日にランチに出掛けること。日曜日には特別なお客様方と一緒に、シェフが創った料理をモニターとして評価するのだ。片手に鉛筆、もう一方の手にフォークを握り、全ての料理について些細なことでも良いから感想を書きとめていく。ティエリー・マルクスがそのアンケート用紙を回収し、そこに書かれたコメントに応じて自分のメモと見比べる。自分の試みがお客様に「納得」してもらえなかった場合には、情け容赦なくその料理は’ボツ‘となる。反応が良かった料理は翌週のメニューに載るが、そこでお客様からの提案を採用しつつレシピーが改善されることもある。
この‘実験’に参加してくれた会食者達への御礼として、各テーブル一人分のランチはティエリー・マルクスからのご招待となるのだ。
ティエリー・マルクス

「このお客様との出会いのおかげで自分が前進できるのです。自分にとってこういったお客様との関係は、不可欠です。」と語るのは‘自分が作り出したレシピー’であることを強く主張しながらも、レシピーの著作登録申請を一切したことのないティエリー・マルクス。それどころか、彼は自分が創った料理を惜しげもなくインターネットを通じ一般公表している。
ミシュラン2ツ星を獲得し、ゴー・ミヨ2006年シェフ・ド・ラネ(シェフ・オブ・ザ・イヤー)に選ばれたシェフは微笑む…「これで良いのです。」

ティエリー・マルクスに出会えるもう一つの場所は、ボルドーにある彼の道場。月に一度そこで柔道と柔術を教えている。五段、黒帯。自分には、師から教えられたもの全てを伝授していく義務があると感じており、‘スター’のスケジュールをこなしながらも謙虚に柔道を教え続けている。
「料理同様柔道でもごまかしはききません。質を向上させなければいけないのは同じです。尊敬と厳しさ。他人を敬う気持ちも食材を尊ぶ気持ちも同じです。」

ティエリー・マルクスが料理において謙虚な姿勢を保っているのは、柔道のおかけでもある。「完全にマスター出来るものなどないことに私は早くに気付きました。黒帯という等級こそ本当に初心者だと日本人の先生によく言われました。黒帯になると全て体得したと思い込んでしまうのです。」
彼の‘情熱’である日本について話してもらおうと、私達はあえてパリの「やきとり すし好」でティエリー・マルクスと待ち合わせをした。有名になった自分の仲間をもてなすために、料理長の斉藤さんはかなり腕を振るったに違いない。そして食事を終えたティエリー・マルクスは、非常に親しげにしかし誠意を込めて同僚の料理を褒め称えた。
「日本の素晴らしい点、私が気に入っている点は、日本中どこに行っても他人を敬う気持ちがあることです。」ティエリー・マルクスは、12月から翌年2月まで、コルデイヤン・バージュの休業中に年間平均3ヶ月を日本で過ごす。

「日本ではレストランのコンサルタント的な活動をしています。例えば今は、特設レストランというコンセプトに取り組んでいます。」
スポーツブルゾンをはおり、禅の僧侶のような頭にラッパーもどきの赤いキャップを深々とかぶる姿を見ると、とにかくデュカスやロビュションとはちょっと見かけが違うとまず感じる。今最も注目されているシェフの一人ではあるが、パリ20区、パリ郊外で過ごした子供時代の何かが明らかにどこかに感じられる。そしてキッチンでは、反抗期にある若者の反俗的な雰囲気を垣間見ることもある…。そして勿論たっぷりの好奇心も。料理の構成をより理解するためには、レシピーを躊躇なくスキャンする!窒素のように軽い彼の料理は、大阪の小さな八百屋から得ることもある思いがけないインスピレーションと本能が混じりあったものなのだ。

そこに至るまでにティエリー・マルクスは多くの旅を経験し、沢山の観察をしてきた。パティシエ職人として師についた頃から(ちなみにティエリーの父親は蹄鉄工、後に暖房設備工の親方をしていた)まるでレバノンにいる国連軍人のように熱心に働いていた。その後1989年、東京にある有名フランス料理店のオーナー三國氏に出会い、日本を’発見‘していった。すぐにティエリー・マルクスの並々ならぬ才能を察した三國氏は、京都で17代続く懐石料亭に何の躊躇もなくティエリーを紹介した。ここで和食の基礎、特に低温調理(この料亭の専門は、温水源での加熱)を覚えたのだ。こうして日の出る国に滞在する一番の目的である柔道を続けながらも、数々のレストランで経験を積んでいった。

生魚の扱い方を覚えるために寿司屋でも数ヶ月間を過ごした(お客様とは接触せずに)。フランスに戻りトゥール近郊に初めてレストランをオープンさせると、すぐにミシュランで1ツ星を獲得した。その後ナンシーにあるレストランを任されることになったが、そこでもすぐに1ツ星を獲得した。日本で学んだ事は全て自分流にアレンジし、創り出す料理に生かしていった。

「日本人のシェフ7人に辻学園調理専門学校リヨン校まで来ていただいたことがあります。迎えたのはフランス人シェフ7人。この日のテーマは活き平目で、全員がそれぞれ平目一匹をさばいて料理しなければならなかったのです。当然日本人の手さばきは、1mmの狂いもない適確な手順の見事なものでした。一方私たちフランス人はというと、バタバタと動いて何度も手からすり抜けていってしまう魚の扱いに苦労しました。」とティエリーが語る。

「ただ次に私達が作ったものを見て試食した時には、日本人シェフ達は皆「釘付け」になっていました。その一日を通してフランス人、日本人それぞれのアプローチの仕方を目の当たりにし、それぞれが多くを学ぶことが出来たと思います。」

ティエリーには放浪癖があるのか、再びアジアに発った。今度の行き先はシンガポール。その後タイ、カンボジア、ベトナムへの旅に出るが、まずシンガポールには一年滞在した。
1998年フランスに戻った際、ジャン・ミッシェル・カーズ氏に出会いコルデイヤン・バージュというオファーを受けた。またも就業1年で1ツ星を獲得するという偉業を成し遂げた(1999年)。そして翌年には2ツ星を獲得。しかし完全に何かをマスターすることはないと信じるティエリー・マルクスは、この結果を自慢するようなことはなかった。彼が好んで話す中に、宮本武蔵の弟子の一人が剣客になりたがっていた話がある。

「武蔵は、その弟子に刀の使い方を教えるかわりに、ほうきを持たせ中庭を掃かせました。それが何年も続いたある日、不意をついて武蔵がその弟子を攻撃したのです。身をかわすことが出来なかった弟子に対し武蔵が怒鳴りました。
『なにっ!日々私を観察できる機会を与えてきたのに、こんなに何も学んでいなかったのかっ!』」